創業者 青山五郎

わが日々

第1話起業の決意不明の病気で進学断念

1930(昭和5)年、府中市生まれ。49年旧制府中中学を卒業。原因不明の病気で大学進学を断念し、地元の大蔵省専売局に入り、経理業務など担当した。34歳になった64年、「脱サラ」して念願の起業を果たした。

男6人、女1人の7人きょうだいで、上から5番目の男子だったので、五郎という名前になったらしい。父親は、腕の良い宮大工だった。東京で修業した際には、旧制中学の夜間クラスへ通う努力家だった。教育熱心な人で、4人いた兄のうち2人が東京大、さらに2人は東京工大に進んだ。私も府中中学に入った後は、兄と同様に、旧制高校から東京の大学へ進学するつもりだった。

青山商事会長 青山五郎氏

青山商事会長 青山五郎氏

中学卒業後 地元で就職

中学4年になると、鹿児島市の旧制七高を受験した。学科試験はパスしたが、健康診断ではねられた。その時は、体調不良に気付かなかったが、5年生になると、原因不明の病気になった。夕方に決まって熱が出た。熱が下がらなくなり、学校にも通えなくなった。髪の毛が抜け落ち、病院でも原因が分からない。自宅で療養生活を続けるしかなかった。
半年後、どうにか熱が上がらなくなった。学校からは、長期間にわたる休学で、すぐに高校へ進むのは無理と言われた。そして中学を卒業した後は、しばらくはぶらぶらしていた。「地元に残ってほしい」という両親の勧めもあって、自宅近くの大蔵省専売局(現日本たばこ産業)の府中支局に勤めることにした。

兄たちへの対抗心燃やす

仕方なかったけれど、進学できなかったのは、大きなショックだった。大学に進んだ兄たちと差をつけられたと感じた。なかなか踏ん切りがつかず、仕事に就いた後も、働きながら受験勉強をするつもりだった。けれど、出張続きの仕事に追われ、勉強なんかできんかった。それでも、兄たちには、どうしても負けたくなかった。「30歳になって、世間から信用されるようになったら、商売で一旗揚げるしかない」。心に誓った。
大学に入れば、官僚になるつもりだった。病気にならんかったら、今は無かったかもしれんな。あの時の負けじ魂が「洋服の青山」の出発点といえる。

(古川竜彦)

出典 : 平成18年4月4日~平成18年4月14日

中国新聞朝刊掲載