創業者 青山五郎

わが日々

第7話上場への試練社員の意識改革を徹底

1987(昭和62)年4月、青山商事の郊外型店は100店を突破した。脳梗塞(こうそく)による入院から復帰した青山五郎氏は、徹底した社員の意識変革に乗り出す。そして同年11月、大阪証券取引所二部などに念願の上場を果たした。

流通業は、店長が支える産業だと考えるようになった。全国各地へ出店し、他社との競合も激しくなった。仕入れのシステムや店舗立地などには自信はあったが、実際に利益を生み出すのは販売の現場だ。優秀な店長を育成することが、会社の命運を握っていると感じた。
「このままでは競合他社に負ける。ついてこれない者には辞めてもらっても構わない」―。87年春、全国の店長を集めて活を入れた。競合店に負けるな。不振を挽回(ばんかい)できなければ交代も辞さない、と訴えた。心を鬼にした。

顧客第一主義をアピールし、店内に掲げているパネル

顧客第一主義をアピールし、店内に掲げているパネル
(福山市内の店舗)

店長を通して浸透狙う

それまで店長は店舗経営に専念し、接客には携わっていなかった。結果、売り場や店員の様子など店の実態をつかめなくなっていた。みすみす販売チャンスを逃がし、業績悪化を招く元凶に思えた。店長は売り場の先頭に立たなければならない。現状を打開するため、まず求めたのが店長率先販売だった。
店長には、店で常にトップのセールス成績を維持し、他の店員の1・2倍を売り上げる目標を課した。達成できなければ、ボーナスカットなどのペナルティーを設けた。店長を通し、仕事の厳しさを社員全員に浸透させるのが狙いだった。
一方で、店の人事権や販売価格の決定権などを店長に与え、店を自由に運営できるようにもした。厳しい目標を達成すれば、店の最終利益の1%を還元する報奨金制度も設けた。

お客様と一緒に商売

「お客さまと一緒に商売する」という原点に立ち返ることも、全社員に徹底した。郊外の紳士服店には、ふらりとやってくる客は少ない。欲しい商品を買う▽購入前の下見▽他店の商品との比較―など必ず目的がある。私の経験では、入店したお客さんをじっくり観察していれば、ほぼ100%の割合で来店目的が分かる。何も買わずに帰るお客さんには、必ず声を掛けなければならない。その声に耳を傾け、気に入った商品を買い求めてもらう。接客の基本である。
私自身の病気がきっかけとはいえ、株式上場を控えた時期に、社内改革に手を付けられたのは幸いだった。株式上場は、どうしても果たさなければならない通過点だった。企業が、社会の中で役割を担い、責任を果たして貢献する一つの証しだと信じていた。だから、必死の思いで改革に取り組んだ。その分、上場の喜びは、ひとしおだった。

(古川竜彦)

出典 : 平成18年4月12日

中国新聞朝刊掲載